30 本当にあった怖い名無し
 ほぼ全ての怪奇現象は何らかの因果関係を持つ。

人が死んだ、罰当たりなことをした、
などといった“火”がある所に怪奇現象という“煙”が立つ。しかし火が無くても煙が立つという特殊なケースも希にある。
 僕がアルバイト勤務していたホテルでは怪奇現象の噂が絶えなかった。噂の発信源は主に客室に常備してあるアンケート用紙で、宿泊客達が様々な怪談を残していった。客だけではなく職員まで噂話に興じていて、まるで心霊スポットのような有り様であった。
 オーナーも支配人も古株も、怪奇現象に結びつけられるような事件は何も起こっていないと口を揃えて主張していたようだ。そして妙な噂に迷惑しているという話も人づてに聞いた。
 怪談の内容は、やれ女が立っていただの、やれ蛇口から血が出てきただの一貫性が無く信憑性に欠けた。そんな怪奇現象を体験することも無かったので僕は全く信じていなかった。


31 本当にあった怖い名無し
 アンケート用紙に電話番号を書いている人が何人かいたので僕は試しに片っ端から問い合わせてみる。
 まさか電話がかかってくるとは思わなかったと面食らう人が多かったが詳しい話を聞かせてくれた。長くなるので結論だけ言うと、怪談の全てが悪戯で嘘だった。
 翌日の昼休みに同僚にも怪談についての話を聞いた。自分がした怪談は嘘ではないと同僚は言い張っていたが、アンケートの怪談が悪戯だったことについて話すと半ば呆れながら白状した。そして本気で信じていたのかと茶化してきた。
 怪談の全てが単なる悪戯だった。しかし単なる悪戯と片付けるにはまだ疑問が残っていた。複数人が同じ悪戯を思いついて実行することがただの偶然だとは思えなかったのだ。
まるで彼等を駆り立てる一貫した意志があるように見えた。
 互いに接点の無い集団が同じことをする。この現象にも何か原因があるのかもしれない。
しかし問題となっているのは誰一人怪異に遭遇していないのにその存在を想像していたことだ。まるで火元の無い見えない煙をこの世に具象化させようとしているかのように。


32 本当にあった怖い名無し
 僕だったら悪戯でどんな怪談話を書くだろうかと想像してみた。
 客室に帰ってくると旅行鞄の横に見覚えの無いダンボール箱が置いてあるのに気付く。
箱は埃を被っていて黴臭い。意を決して箱を開けると人形の首が沢山詰まっている。
 所詮空想だ。実害があるわけでもない。悪戯についても偶然が重なったという可能性がまだ残っていた。僕はこの件について深く考えることを止めた。
 改装して間もない綺麗なホテルの中でせかせかと働く合間に、窓から見える秋の高い空を眺めていると、悪戯騒ぎなど取るに足らないことのように思えてきた。集まったアンケート用紙に目を通して、人形の首が沢山詰まっている箱の話を見つけるまでは。