437 ももか
小高い峠の県道の木々には初々しく淡い新緑の気配を漂わせている。
俺は三年前ここで死んだ……。
最後に見たのは迫る二つの光芒。気がつくと血に染まる壊れた俺を見下ろしていた。
九月のうだる残暑が厳しい秋のはしりの事である。

一年、二年、三年……と、時は流れ、それにつれ自身の意識の中でも
事故の記憶は悪夢の一コマのように少しずつ現実感を失っていく。

「いい加減にあちら側に行ったらどうだ?」
ふいに背後から声をかけられる。
振りかえるとスカジャンを来た茶髪の男が苛立たしそうに
タバコをふかしていた。

「死神か……」
「何が心残りで現世に留まり続けるんだよ?」
「わからない……」
「つーか、このままじゃあ、いずれ現世に留まる意味も忘れ亡霊としてさ迷うぞ」
「ほっといてくれ」
「あーもう俺知らねー」

死神は面倒くさそうに含むような声で言う。
死神に言った事は本当だ、わからないのだ。
心にひっかかる何か、音のない言葉、すぐに思い出しそうなのに
思い出せないもどかしさ。
現世への執着か未練か、それとも別の何かがベールとなって思考回路を覆う。



438 ももか
「ん?なんだあの女……。」
死神が峠の麓にあるバスの停留所を眺めながら呟く
花束を持った女が峠を登って来る。見覚えのある女だ。

「ヒロコ……」
「なんだ知り合いか?」
「いつも俺におせっかいばかり焼く、うっとしい女だ」

峠を登ってきたヒロコの頬は、薄っすらと朱に染まっていた。
手に持っていた花束を地面に置き手を合せる。
ヒロコの形のいい鼻の稜線から薄い唇、整った横顔を俺は黙って見つめた。
元気そうなヒロコの顔に何故だが安堵感をおぼえる。
ヒロコがふいに口を切った。

「ずっと、ここに来るのが怖かった……。トシが死んだなんて思いたくなった。
父さんも母さんもトシも大切な人は、すぐに私から去ってしまう……。」
「ヒロコ……。」

俺は言い知れぬ感情が氷解し意識の奥底から這い上がってくる何かを抑える。
心をしめつけられる理解し難い反動が襲う。

「私生きるよ。好きでもない女があっちへ押しかけて来たらトシも迷惑だもんね。
きっちり区切りをつけに来たの、もう振り返らないよ。」


439 ももか
ヒロコと俺は施設で育った
ヒロコは両親が事故で亡くなり6歳の時に施設へやって来た。
生まれてすぐ親に捨てられた天涯孤独な俺は毎日泣いているヒロコに
「親なんて死んだ方が清々する」と突っ張った。

それ以来何故かヒロコは俺の後ろばかりついてきては口出しをした。
俺はそんなヒロコを煙たがり突き放した態度で接してきた。

だが俺の心にあるモノが何なのか、やっと今理解したのかもしれない
いつの間にかヒロコは俺にとって特別な存在になっていた。
そして自分が死ぬ瞬間、頭に浮かんだのはヒロコ……。
人から与えられた事も与える術も知らない未熟で不器用な切ない想い。
それが何なのか誰からも教わらないで俺は育った。


心地よい柔らかな風に包まれヒロコは健気に峠の坂を下りてゆく
「おい死神、あちら側に行くよ。」
「へぇ どういう心変わりだい?」
「いつまでも、ここにいたら口うるさいヒロコが戻ってくるからな。」
「そっか……。」

死神は感得な笑みを浮かべタバコを踏み消す。
気がつけば峠の向こうの斜面には赤みを帯びた、あざやかなツツジが
薫風に咲き乱れている。

「ヒロコが愛した花だ……。」

と、俺は呟いた。