くろたん-オカルト・都市伝説まとめ-

都市伝説

【怖い話】ニューネッシー

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1977年に日本のトロール船 瑞洋丸がニュージーランド沖で引きあげられた謎の腐乱死体。

全長約10メートル、重さは1800キログラム、首の長さは1.5メートル。

船には腐乱死体をつめるようなスペースはなく、ヒゲ状物数本を除き引き上げから一時間後に破棄された。

ウバザメの死体ではないか?とも言われているが、
引き上げた瑞洋丸の船員の多くは「あの腐臭は如何なる魚のそれとも異なっていた」と証言。

首や尾の骨が「正方形の硬いブロック状」であったという話もあり、ウバザメ説については未だ疑問の声が出ている。

現在はウバザメ類の可能性が高いと指摘されています。

【怖い話】太歳

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中国で古くから霊力があると言われてる
石のようなゴムのような生物のような不思議な物体。

茶色や白、黄色、あるいは黒色であったり様々なものが存在すると言われている。
近年発見された太歳らしきものに関しては、徐々に大きくなっていくという報告のものが多い。

古来中国では不老不死の妙薬の原料とされ、始皇帝が徐福に命じ不老不死の仙薬を求めた時も
その重要な材料として太歳の名前が挙がっている。
他にも、肉霊芝または肉万年茸と呼ばれて、中国古来の地理書や医学書にその名前が出てくる。

現在中国では、この太歳は幸運を呼ぶものと解釈されている場合があるようで、それらしきものが
大金で取引されているという話もあるのだが、歴史的に見れば、
祟り神のようにして扱われている場合も多くあり、中には「長い間触れていると死ぬ」といったような話もある。

可能性として語られる話に、太歳とは、変形菌の一つで、変形体と呼ばれる栄養体が移動しつつ
微生物などを摂食する動物的性質を持ちながら、胞子により繁殖するといった植物的菌類的性質を
併せ持った生物ではないかという指摘があるのだが、
どれが本来の太歳であるか不明なためはっきりしたことはわかっていない。
仮に、変形菌のひとつであるとすれば、生活環境や、その種の違いによって、
キノコのように時には毒素を作り出したり時には多幸感のある物質をつくりだすことも
無いとは言い切れないのではないだろうか。

【怖い話】山ン本五郎左衛門

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百物語の最後には必ず山ン本五郎左衛門の話をしなくてはならないとされる。

裃を着た40歳ほどの武士の姿をしているとされる。
各地の怪談には、もののけと対峙して一歩も引かなかったときに
最後に山ン本五郎左衛門が出てきて
その勇気をほめるという話がいくつか見受けられるが、
その肝心の山ン本五郎左衛門は
どういった物の怪なのか、語られることはない。

百物語の作法の一つには
百話目の山ン本五郎左衛門の話をすることをためらい
九十九話で終わるというものもある。
この時、用意されていた山ン本五郎左衛門の話が
本来の山ン本五郎左衛門の話で、
一体どういった妖怪であるのか語られているという話あり、
語り手が最後までためらうのが
常だったために百話とされたというのである。

【怖い話】式喰いの面

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陰陽道の流れをくむいざなぎ流の信仰がある高知県物部地方。

そこの家には代々伝わる式喰いの面があるといわれている。

この面を見るのは、家長となるものだけ、それも一生に二回だけだという。
つまり家長を引き継ぐときだけに屋根裏にある面と対面するだけだという。
他のものがうかつに見たりすると、禍がふりかかるといわれている。

 当主も、そのその面と対面するときは、二週間ほど前から肉類を絶ち、
体を清めて正装をしてまみえなくてはならないとされる。

 仮に家が途絶えた時などは、太夫と呼ばれるいざなぎりゅうの術者が、
その面を人目につかぬようして、川に流して処分するという。この処分され、
流れていく面も、うっかりとみてしまうと
見たものに禍がふりかかるといわれている。

式喰いの面
http://www.rekihaku.ac.jp/publication/rekihaku/146witness.html
下段
※ただし、この面は、その筋の人によれば、
「こういうもの」として今は性根を抜いてあるとのこと。

【怖い話】ピトケアン諸島少女性的暴行事件

62
 長年、閉鎖環境に置いておかれたピトケアン島は、外の世界からも忘れられた存在であった。

1999年、ふたたび世間の耳目を集めることとなる。
この島に研修に来ていたイギリスの女性警察官が、この島の大部分の成人男性が、
島の14歳以下の女性と性交渉をもっているという事実を告げられたのだ。
その後、捜査の結果、事実が明らかになり、大部分の成人男性の島民が逮捕されることとなる。

 ただしこれには島独自の風習も考えなくてはならない。
ピトケアン諸島では、12歳を過ぎたら結婚できる資格があると考えられおり、
大半の女性が12歳から15歳の間に最初の出産を経験していた。
このため12歳の少女との性行為は倫理的にも問題ないと考えられていたという主張である。

島の成人女性達も、この事件対する会議を開き、島の男性達を弁護すると決定した。
彼女たちによれば
「少女に性行為を要求することは1790年の島への入植以来のポリネシア文化の伝統と認めるべきだ」
というものである。

ただ、この会議についても女性全員が参加しているものではないという点や、
成人男性のほとんどが収監されてしまうと島の経済がたちゆかなくなるという事情が
加味されたのではないかと言う指摘も一部ある。

最終的に裁判では6人が有罪判決を受けることになり、この事件によって
加害者とされる側も、被害者とされる側もひどく傷ついたと言われている。

その後、ピトケアン島では長らく興味本位のメディアが入ってくることを拒んでいたが、
近年日本のテレビ局がバウンティ号の取材で島に入り、現在の様子を放送した。
ただし少女性的暴行事件については一切ふれることはなかった。

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